イベントレポート
●アイカム50周年企画「30の映画作品で探る”いのち”の今」

    第14回 共に生きる いのちの中の人間 <2020年9月5日(土)> 


上田:
今日は暑い中、ようこそお越しくださいました。アイカムの創立50周年を記念した映画上映会、第14回ということで始めたいと思います。私は、進行役を務めますNPO法人市民科学研究室の上田です。よろしくお願いします。
14回目といいましたが、2年半ほど前から、だいたい隔月で、体のいろんな臓器や器官、それから病気、かなり専門的な内容のレベルの高い上映会を続けてきましたが、幸い、いろんな方からご好評いただいて続けてくることができました。今日は特別な企画で、総合的な視点から、生命とは何か、生きるとは何かをテーマにした大作を鑑賞いただけたらと思っています。
 そして、今日は特別のゲストとして、JT生命誌研究館の中村桂子さんをお招きしています。(拍手) 今は名誉館長をなさっていますが、本当に中村さんの構想で建てられた研究館と言ってもよいのではないかと思います。この中にも訪れた方がおられると思いますが、非常にユニークな研究館です。そういうこともご紹介いただきながら、映画を観終わったあと、少しお話いただいて、みなさんとも議論していきたいと思います。今日はじっくり、ゆっくりお楽しみいただければと思います。
川村: アイカムの川村です。こんにちは。この映画は、1982年の作品です。私は78年に入社して、助手として初めて大きな作品について、足掛け3年ぐらいかけて構想から制作まで携わりました。スズケンさんの企画で作られたものですが、その社長が「本物を見てこい」ということで、できるだけ本物を探していろんなところに撮影に行きました。
 なにしろ、タイトルが『人間』ですから、どんな映画?と聞かれて、一言ではなかなか説明しがたいのですが、今日ご覧いただいて、いろんな意味での問題提起や、いろんなことを考えていただければと思います。今から38年前の映画ですが、今に通ずることもあるのではないかと思っています。

 監督の武田が1960年代から科学映画を巡って旧知の中村桂子さんには、もともと生命誌研究館の構想を伺ったり、研究館のビデオをいくつか制作したり、また、アイカムのドーム映像を完成直後に見ていただいたりしてきましたが、今回のゲストも快諾くださいました。よろしくお願いします。
 完成後、普通、映画はスタッフの手を離れてしまうものですが、当時はフィルム制作ですから、スズケンさんも東京と名古屋で完成上映会を開きましたが、協力いただいたたくさんの方々に完成の報告とお礼に伺うと、大学の学生たちや研究室の同僚、関係者も集めての映写会となり、完成当時、1000人ぐらいの方には直接ご覧いただき感想を伺うこともできました。そういう意味でも思い出深い作品です。それではどうぞご覧ください。





                           ■ 映写   1982   『 人 間 』   59分
上田: この映画は、時間的にはだいぶ古い映画なのですけど、先生も制作には関わられたのでしょうか。
中村:































制作には直接、関係していません。・・ちょっとごめんなさいね、あまりにもすごい映画を見せられて、なんかフーッとしてしまって、すぐにお話するような状況ではないんですけど・・・1982年ですよね。ということは40年近く前・・・私、これ、今、作ってもいいくらいの、(上田:本当にそうですね) 今、とっても必要なことをみごとに描いていらっしゃると思って、本当にびっくりしながら見ていました。

何度も、何度も出てきましたけれど、問うているのは「世界観」なんですよね。世界観という言葉が何度もでてきました。
 私も、上田さんに紹介していただいたように、生命誌研究館を創ったのですが、なんで作りたかったかというと、ちゃんと生き物のことをみつめて、自分が人間であることを考えた上で、どういう世界観をもったらいいかということを考える場がどうしてもほしかったからです。生命科学の研究は大学でもできるけれど、世界観を考える場はどこにもない。私は、それが一番大事だと思っているのです。この映画の10年程後、1993年に生命誌研究館を始めました。
 難しいお話がたくさん出てきましたし、世界観というと、とてもたいへんなことのようですが、私は世界観というと、大森荘蔵先生を思います。ご本をお読みになったらいいと思います。物理学を勉強された後で、哲学をなさったという大天才で、ちょっと怖い、難しいことをおっしゃる先生なんですが、とても大事なことを考えてらして、その本に「世界観が大事だ」と書いてある。世界観とは、宗教とか宇宙とかそういうことを考えることでもあるのだけど、実は「毎日どうやって暮らすか」を考えることが世界観なんだよ、とおっしゃった。
 その時に、毎日どうやって暮らすか、なるべく上手に暮らそうと思うと、自分だけで考えていたんではわからないから、映画に出てきたように、昔からみんな何を考えていたのか、周りの方が何を考えているのか、今学問は何を教えてくれるかとか、生き物ってなんなのか。そういうことを少し学びながら、考えないと、毎日の暮らし方だよというけれど、いい加減に生きていたんでは、本当に納得して、こう生きたいなといって生きることはできない。そこで、私は難しいことは苦手なんだけど、映画で見せていただいたようなことは、やはり自分なりにお勉強して、それでも結局、何が大事、といったら、毎日どうやって暮らすの。どうやって生きるの。 その時に、例えば、誰かを憎み続けて暮らしたり、そういうことではないでしょ。やはり、共感をもって生きようとかそういうことなんだけど、それは教えられたからやる、というのではなく、自分の中から自然に出てこないと世界観ではないですよね。自分の中から自然にそういうことが出てくるような状況が、一人一人の人にとって、とっても大事だと私は思っています。
 今、やたらに競争させたり、しかも一本の線の中で、誰が一番と競争させて、何も考えない。自分がこうなんだ、と毎日の暮らしができるような社会ではないじゃないですか。追い立てられ、追い立てられ、追い立てられて、で、勝った負けた、お前はダメだ、みたいな。そうじゃないよ、自分で考えるんだよ、と言ってらっしゃる、そういうことが今、とっても大事。学校でもできない。
 本当は、世界観なんて難しい言葉を使わなくてもいいんだけど、子供が一人一人、僕、私、こういうことが好きなんだよ、こういうことが大事だと思うんだよ、こう生きたいんだよ、お母さんとっても大好きなんだよ、そういうことをベースに生きていればいいんだけど、毎日、これやれ、あれやれ、お前は丸だ、お前はバツだ、と言われて暮らさなくてはならないなんて、それが私は本当に辛くて、嫌で。世界観を持って、自分でなんとかして生きるために、そういう場を作りたかった。 
上田: はい。
中村: この映画は、本当に総合的にそういうことを語ってくださっているから、これを参考にしながら考えると良い。だけど、ここで言っていることをああそうかと言ってしまったらだめで、自分の中で、自分が大好きな人のことを考えたりしながら、自分でどう生きるか考える、そのためのきっかけというか、いっぱい本を読まなくてもだいたいこれを見たら、なにかを教えてくれる。
上田: ああ、なるほど。そうですね。
中村:






すごい映画だなと、私、思いました。 宇宙は138億年前、地球が46億年前にできましたよ、という話がありました。それから私たちがいろいろな技術を作り出してきましたよ、という話がありました。ここで、街がどんどんできていくのと、神経ができていくのと並べてありました。その例えはいいのですが、ご覧になるときに、ちょっとだけ気をつけていただきたいのは「時間」。
 脳の神経ができて・・というのは何十億年の中でできあがってきたこと。自動車が走って・・というのはたかだかこの100年です。そこが違う。
 やはり、この100年に追い立てられるのではなく、何十億年でできた中に私はいるんだ。あたかも同じように見えるけど、時間が全然違う。そこを意識して、私は長い、長い、長い時間の中にいるんだということを忘れないでいること。映画では、百何十億年と、100年の時間が並行して入っているので、うっかりしているとパパッとみてしまうけど、今の社会はたかだか100年・・私たちが日常考えるのはどうしてもそっちの短い方の時間になってしまうのだけど。私が、今、生命誌をやっている理由は、長い長い時間が、実は体の中にあるので、それを忘れてはいけないと思っているんです。だから、この映画を見るときも、時間のことを間違えないように、長―い時間の大切さをちょっと意識していただきたい、それは私からのお願いです。
上田: 中村さんがさっきおっしゃった「世界観」ということで、たとえば、この映画の中で、冒頭とおしまいに両方とも出産のシーンが出てきます。誰でもが体験し、誰でもがそれを経て生まれてくるような、当たり前のことが示されているんですけど、改めて見ると、すごく心打たれるようなシーンではあります。
 それが象徴しているように、私たちの存在、個々の人間の一人一人が、長い歴史を自分の中に持っていて、その凝縮点として一つここに存在しているんだということが、そのことと重なって見えますよね。
中村: そうです、そうです。だから、これは時間ということをテーマに語っていると思います。
 今の社会って、なるべく時間を短くしなさい、早くしなさい、なんでも早い方が勝ち。どこかに行くのも、なるべく早く行きましょう。なんでもどんどん早く。余計なことを言いますと、リニアモーターカー、私はあれは作らない方がいいと思っています。(笑い) 生きるって、時間を紡いでいくことじゃありませんか。縮めちゃったら、生きることにならないじゃないですか。
上田: なるほど。
中村: でしょ。生きるって、時間を大事にすることでしょ。みなさんそれぞれが、1歳は1歳、5歳は5歳・・さっき、オムツしながら、ちゃんとお買い物している場面がありましたが、可愛かったですね。その時間がとっても大事なわけでしょ。3歳も大事、5歳も大事、あの子が5歳の時、何するかなと思うじゃないですか。なのに、今は、縮めろ、縮めろ、早くしろ、早くしろ、というわけでしょ。それは生きちゃいけません、って言っているみたいな気がするんです。
 それは機械。機械は早くしてほしいですよ。私もコンピュータ押して、出てこないと「早くしなさい」とつい言いますが、機械は早くするためにできている。
生き物、人間を機械のように考えちゃいけない。
上田: その急いでしまう、早く早くという根底には、人間をまるで機械のように見て、扱っていることがあるのですね。
中村: 早く早くと言ったら、生まれてからすぐ死んでしまう人が一番早い。そんなの、なんのために生まれたの、ってなるでしょ。生まれたら、私たちは死ぬってわかっているんだから、生まれたら死んでしまうのが一番早い人になるじゃないですか。一番、バカバカしいことでしょ。機械はそれでいいのよ。人間は、ゆっくりゆっくり。
 私もこのごろ、コロナでどこへも出かけませんから、三食作って、家族で食べることを久しぶりにやりました。なんで、人間三回食べるのよ(笑い)と思いながら、時々、えっもう12時と思わないことはないけど(笑い)、でも、体調がとてもいいんです。いろんなものを計るとね。それは、やっぱり、いかに私、生き物だよといいながら気をつけているつもりでも、社会の中で皆さんとやっているときは、追われたり、食事もちょっといい加減にしたりしていた。朝6時に起きて、12時に食べて、夕方は7時に家族みんなで一緒に三回、きちっと、食べる。それをここ二、三ヶ月、みんなオンラインの仕事になりましたから、やらざるを得ない形で、これって・・なんて体調がいいんだろう。
上田: やはり生物としてのリズムみたいなものとか、一緒に家族といるときの心地よさとか、たぶんそういうのが影響するんでしょうかね。
 会場のみなさんからも、聞いてみたいことあれば、感想なども含めて発言頂ければと思いますが、いかがでしょう。
SA:








今日はありがとうございます。すごい面白い映画を見たな、と思って、映画の感想が中心になりますが、先生のお話を伺っていて、映画の中身と、あっ見ていた意味がやっと繋がったかなと思って、お話が今、沁みています。
 なにしろ、最初の出産のシーンを見た瞬間に、ゲッゲッすごいもの見たと思って(笑い)、びっくり仰天だったんですが、二つの出産だけでなく何度も出産がでてきて、それは気がつくと、いろんな人が関わって生まれてくる出産ばかりなんですね。病院で生まれている方もいますけど、最後は本当にたくさんの人に囲まれて・・人が生まれてくるというのは、いろんな人に喜ばれ、支えられて生まれてくるんだなあ、生まれてきたんだなあと思って、私も息子が二人いるんですが、夫が立ち会ってくれたのを思い出し、しみじみしました。
 そして、生まれてきたら、すぐ死ぬんではなくて、長い時間をきちんと紡いで生きていくんだと、お話聞いていて、そうだ、そうだと思いました。
 映画の中で、長い長い宇宙の時間の中から、人間は時間を借りて、数十年の人生を生きる、というように言われていて、ハッとしたんですね。そのことを今、お話聞きながら、貴重な大事な一瞬をここでみなさんといるんだなあと思って、とてもいい時間をいただいたと感謝しています。ありがとうございました。
中村: たしかに、出産は心を打たれますけど、一方で、やっぱり辛そうでしょ。苦しそうでしょ。生きるということは・・・生命、というと、みなさん「生命尊重 とか、生命はすばらしいとか、つい言ってしまいがちなんですが、私はあまり「生命」という言葉は使わないようにしています。では、どういう風に言うのかというと、食べる、暮らす、生まれる、死ぬ、いろんな動詞で考えるんです。私はなぜ使いたくないかというと、「生命尊重」という方ほど尊重しない。(笑い) そう言った方が、そういう社会を作ってくださらなかったので、「生命尊重」という言葉を信じない。
 私は、生きていることがすごいことだと思わない、と言っているのではないのです。でも、尊重とか、すばらしいとか、美しい言葉で言い切れないものが、生きるということにはあるじゃないですか。辛いし、赤ちゃんが生まれてくることは、すばらしいことではあるけど、そこには苦しみがある。ワンちゃんに比べたら、はるかに人間は苦しいんです。それは人間が二本足で立ち上がったから、非常に赤ちゃんが生まれにくい。生まれにくいから、人間の赤ちゃんは未熟児で生まれてくるわけですね。牛とか馬とかは出産すると、みんな生まれたらすぐに立ち上がるじゃないですか。
上田: 驚くほど早いですね。
中村: そうでしょ。でも人間の赤ちゃんは1年くらい、立ち上がらないでしょ。ということは人間の赤ちゃんは未熟で生まれているということでしょ。それはなぜかといったら、産道が小さくて、人間の脳が大きくなったから、この脳がなんとか通れるようにすると、脳がちゃんと育った後には決して産道を通れない。だから、1年ほど早く、ギリギリで通ってきているわけです。
 人間が立ち上がり、二足歩行して、手を自由にして、大きな脳を持ち、こういう生き方をするようになったがゆえに、出産は他の生き物たちよりも、苦しくなってしまったんです。だから、いろんなことを考える大きな脳をいただけたので、それが人間なのですから、その苦しさは人間としての苦しさなんだけれど、生き物として考えたら、たいへんな作業ですよね。
 だから、赤ちゃんが生まれてくることは、おめでたく、素晴らしい、いのちがつながるということなんだけど、機械は、きれいはきれいで済ませられるけど、生き物の世界はきれいだけでは済まない。全部入れて、生き物の世界は魅力的だね、と思うかどうか。出産はとても素晴らしい、すごいこと、赤ちゃん生まれてきてよかった、なんだけど、あのときのお母さんたいへんだったね、があっての喜びなんだと思います。
 機械の世界は、なにか悪いことがあったら無くそうとする。だけど、あのお母さんの苦しみなしに赤ちゃんは生まれることができない。それが生き物の世界。そういうことを丸ごと受け止めていくこともとても大事なこと。
上田: なるほど、生命という言葉を安易に使ってしまうと、そういうことが、隠されてしまう、見えなくなるということですね。
HM: 中村先生と聞くとDNA、と本などを読むと、私の中では思ってしまうので、お聞きしたいのですが、今、私はたまたま6ヶ月の孫を毎日見ていて、初めての貴重な時間を持っています・・
中村: 可愛くてしかたがないでしょ。
HM:





可愛い、というよりも、面白い(笑い)。という方が当てはまります。自分が子供を産んだときは、バタバタしていたせいか、よくわからなかったのに、仕事の量がほとんどないので、ずっと眺めてられるせいもあるのですが、寝返りを打ち始めて、その前には片足をバッタンバッタンして、ある日突然、寝返りを打てるようになった。今は、ずり這いから、少し四つん這いになろうとしている、そのような姿を見ていると、不思議なのは、本能による行動と分類されると思うのですが、いわゆる構造的なものか、ある化学変化が起きるとか、DNA〜タンパク質〜酵素みたいな、なんとなく分かる気がするのですが、誰が教えたわけでもないのに、時期がくるとそういうふうになっていく。もっと下等な動物になると、たとえば、親の赤いマークがあると、そこを突いて餌をもらうとか。それを質問されたら、今までの私だったら、遺伝子的にそうなっているのよ、とか答えて、相手もああそうか、などと言っていたわけですけど、遺伝子というのと、本能による行動の間をつなぐものについて、何か、ご見解をお持ちであれば、聞いてみたいなと、来る前から思っていました。
中村: お孫さんは、あきらかにお婆ちゃまの遺伝子を受け継いでいらっしゃる。ただ、今、お婆ちゃまの遺伝子と、私は言いましたが、実は、人間の遺伝子というものも、あなたの遺伝子というものもないんです。地球上の生き物が共有している遺伝子があって、これとこれとこれを組み合わせたら、あなたね、これとこれを組み合わせたらアリで、これとこれならライオン、というだけです。
 それは私だけのものよ、というものはない。みんなが共有に使っているものです。けれども、自分もそれでできているものですから、それと同じものをお孫さんももっているという形で使って、その指令で動いている。手を動かしたり、立ち上がるにしても、タンパク質が働き、何が働き、という形で動いているわけですよ。
体を作っているのは遺伝子、ただ、もう一つは神経系、遺伝子の情報と神経系の情報がありますから、その組み合わせで動いているので、すべてが遺伝子で動いているわけではないですね。
 遺伝子という言葉を専門でない方が使うとき、気をつけていただきたいのは、遺伝子は、ゲノムという塊でもっていますが、一生の間にどんどん変わってきます。
一卵性双生児だけは、一つの細胞が二つに分かれたので、生まれた時は、全く同じゲノムです。普通はそんなことはないんですよ、70億人いたら、みんな違うんですけど。一卵性双生児は、最初は全く同じ。それでずっと同じだと思っていたんだけど、実は、調べていくと、一生の間に遺伝子は環境によって変わるということがわかってきた。一卵性双生児だって、ある程度、育ってくると持っているものが違う。そのように、遺伝子は何かを決めるとは思わない、それが今とても大事です。
 遺伝子は働いてくれないと何もできないので、働いていることは確かなんだけど、それで決まっているという考え方は・・遺伝子組み換えって、あれも遺伝子で決まっていると思うと、絶対ダメでしょ、みたいになるけど、別に決まっているわけではなくて、動いているんだから、よーく考えた上で、動かすことはあってもいいでしょ。というふうにだんだん私たちの考え方も変わってきていますね。そういうのが遺伝子です。
 もう一つ、神経系の情報。その組み合わせで、私たち、動いているし、もう一つは、外からの情報。赤ちゃんって何もわからないと思っているけど、調べるほどに、初めの頃から子供はいろんな外からの情報を入れている。ということがわかっています。例えば、心の問題ってご存知ですか? 相手の気持ちがわかるのは、これまでずっと3歳と言われてきた。ただ、こっちが正しいというのを目で追う、ということも調べられるようになると、言葉の話せない子供もどっちかわかっている、それがどんどん下がっているんです。2歳の子、この頃では1歳の子でもわかるかな、みたいなデータが出始めている。そうすると、私たちは赤ちゃんて何もわからない、無垢なんていうけど、よくわかっている、外の情報もずいぶん入れている。
だから、自分の体の中の遺伝子と、神経の働きと、おばあちゃまから入ってくる何かと、全部総合して、1歳でもそういう形で動いているんです。
そうやって、お孫さん、みてあげてください。
上田: おもしろいですね。小さい子供さんって興味の尽きないものですよね。
SM: 今日はありがとうございました。映画のできた1982年頃は、生命工学とか遺伝子工学、生命が操作可能なものとして言われ始め、一般向けに本も出始めたと思いますが、先生としては、生命を操作可能なものとしての技術について、今も危機感をお持ちなのか。この40年間で危機感は強まったのか。それとも、もっとわかることが多くなったのか。お考えを教えていただければと思います。
中村:































一面は、どんどんわかってきています。60年代、70年代は遺伝子決定論的な世界でしたが、今、遺伝子ってそんなものではないということがわかってきましたので、知識は増えています。しかし、一方、技術もどんどん進んでいる。そこで、問題は世界観だと私は思うんです。
大雑把に分けてみたら、「機械論的世界観」 と「生命論的世界観」があると思っています。そして、私は生命論的世界観を自分は持っているつもりだし、それが人間が生きていく上では、楽チンだと思っているんですが、今の社会は、100%機械論的世界観です。機械論的世界観は、1982年よりも2020年の方が強くなっています。
 生き物に関する遺伝子や脳についての知識は増えて、むしろ生命論的世界観で考える方がよくわかることはわかっているんですけど、今の社会は機械論的世界観ですから、わかってきた知識の中から機械論的世界観にあうものだけを使って技術でどんどん進めて行こうとしている。子供も、生命論的世界観で存在するとわかっているのに、子供を機械のように扱って、競争させて、機械論的世界観はどんどん大きくなっています。それは危険です。
 私は、この「機械論的世界観」 を「生命論的世界観」 に変えなければ、おそらく今回のコロナだって乗り切れないと思います。さっき、人間はどこへいくのか、と言ったけど、今のまんまで、機械論的世界観をこれ以上進めて、しかも片方で、考え方として新自由主義で競争させればいい、お金はあればいい、それを機械論的世界観で支えるということをやっていらっしゃる方達がいる限り、生き物の世界はこうなっている、というものすごく素晴らしい世界がわかっているのに、それが生かされません。この中から機械に合うことだけ持っていく。

AIが人間を超えると言っている方がいる。バカなこと言わないでと思います。AIがやっていることと、人間は、全然違うじゃないですか。AIは、論理と統計と確率だけで動いているんです。私は、それだけで動くのは嫌です。AIは人間を超えると言ってはいけない。カテゴリーが違うんですから。アリとライオンも比べてはいけないんです。アリとライオンを比べてどっちがすごいって言っても意味ない。アリはアリですごい、ライオンはライオンですごい。ましてやAIと人間を比べるなんて、とっても馬鹿げたことなのに、優秀といわれる方たちが比べています。データを山ほど与えて、それを処理するならAIが勝ちます。でも、藤井聡太くんの方がいいでしょ。(会場・笑い)
 あの子、あの子なんて言っちゃいけないですね。二冠なんですから(笑い)。私、大好きなのは、競争していない。誰に勝ったか、彼には何の問題にもならない。自分がどんな棋譜で何ができたか、ちゃんとできたか、失敗したか。それだけであって、誰に勝ったかなんて考えていない。競争していないで、AI以上のことを考えているとみんながびっくりする。そういうところ、それが人間という存在なんですね。
 データがたくさん処理できるというだけで、AIが人間を超えると言ったとたんに、機械論的世界観で、人間を否定することになるから、言ってはいけないのに、大勢の方が言ってらっしゃる。この社会を変えない限り、今、おっしゃった問いは、危ない方へいく。
 生命の世界がわかってきて、その本質がわかり、生命論的世界観をみんながもつようになれば、それほど新しいことはできなくてもいい、毎日三食三食食べることでもいい、落ち着いた気持ちで暮らしていける社会ができると思っています。そこが変わらない限り、亡びの方向かもしれないと思い、怖いです。
上田: なるほど。一方で、生命科学というか生物学がすごく進歩して、この映画が作られた当時に、例えば、将来的にデザイナーベビィのようなのが出てくるのではないか、と言われていたことが、今では技術的にはかなり可能なところまできているようにも思えます。つまり、生命科学の研究者たちがますます先端的なことに取り組んで、いろんな知識を私たちにもたらしてくれるものの、先生がおっしゃるところの機械論的世界観に囚われてしまっているが故に、今日、まさにこの映画で見せてもらったようなことが、研究者の中に共有されているのだろうか、いないんだろうかという疑問がどうしてもでてきます。
中村: 競争させられている限り、ダメです。競争しないと暮らしていけない中に入れられてしまって・・今の官庁の方だってそうでしょ。公文書改ざんなどしたいはずない。だけど、そうしないと生きられない状況に押し込められているから、しているわけでしょ。研究者も同じで、そういう中に入れられているから、機械論からの抜け出しを考えることが難しい。
 私は幸い、そういうところから外れて、自分がやりたいことができる場所を作り応援していただけていますが、大学にいたらできません。それは日々、厳しくなっています。どうしたらいいんでしょうね。
 政治の世界を見ていて感じませんか。日々、これでいいのだろうか、という方向に行っている。世界中のリーダーで、えっ、こんなことしていいの、と思うようなことをする人がいっぱいいますね。リーダーといえば、アメリカ建国のフランクリンは、若い頃、リーダーに必要な資質を書き出して、お友達に見せたら、一つ足りないものがあると言われ、それは「謙虚さ」。謙虚さというものがなかったら、決してリーダーにはなれないよと言われた、というのがフランクリンの逸話としてあるのだけど。今、世界のリーダーを見ていて、私の好きなのはメルケルさん、ああいう人だったらついていきたいと思うけど、他の、特に男の人(笑)、思い浮かべると・・・
上田: とてもついて行きたくないような・・(笑)
中村: とてもついて行きたくないような、謙虚さってどこにあるの、みたいな人ばかりじゃないですか。こういう中で科学技術が・・本当は他人のせいばかりにしてはいけなくて、研究者がしっかりして、そういうことを言われたって、これが大事なんです、とか、そんなの間違っています、とか言えばいいんですが、お金の力、研究のお金がもらえないと困るから、それは言えない。それがずっと続いてますから、難しいですね。それが私の悩みです。
上田:
いやー、なかなか深刻な問題なんですけど。そろそろ終わりの時間がちかづいてきましたが、ご発言あれば、あと一名、お聞きしたいと思います。
MS: 先ほどの映画の中でも出ましたが、先生のご著書に、大腸菌を使って、ヒトのインスリンを作るということが出てきて、初めて、全然見た目も違う生き物が、互換性があるというか。細菌と同じシステムで生きている、同じ仲間なんだ、ということが実際に証明された、ということが書かれていて、ああなるほど、と思ったのですが、翻って、今コロナウイルスが流行っていますが、ウイルスも私たちの体に簡単に感染してしまいますが、ということは、ウイルスも同じシステムで生きている仲間、友達(笑)と考えた方がいいのか、あるいは敵なのか・・そのへんを伺いたいのですが。
中村: 敵ではありませんが、友達と思うかどうかは、ちょっとご自分で(笑い)・・
ウイルスって生き物ではないんです。ウイルスはなんですか? と言われたら、遺伝子が着物を着て動いている。
 1970年代の遺伝子工学が始まった頃は、遺伝子って、とても固定的で決定的で決まったもので、私の遺伝子があって、大腸菌の遺伝子があって、ウイルスの遺伝子があって、だと思っていた。そしたら、調べれば調べるほど、遺伝子というのはあっちゃら、こっちゃら動いている。生物学は欠点があって、つい擬人化してしまうのだけど、気持ちとしては、遺伝子は動きたがっている。そういう感じがします。その決定版がウイルスで、遺伝子というのはそのまま外を歩いていると壊れやすいので、着物を着て遺伝子が動き回っている。
 さっき、出産の場面がありましたが、哺乳類は子供を体の中で育てて産むわけですが、それには胎盤が必要です。この胎盤を作って働かせる時に不可欠な遺伝子があるのですが、その遺伝子はウイルスが運んで来たんですよ。これが運ばれて来なかったら、1億5千万年前、哺乳類が生まれたのですが、その頃、それより前にウイルスが、その遺伝子を、どんな形でどう入ったかはわかりませんが、ある動物の中に入れてくれたから、胎盤が作れるようになって哺乳類が生まれた。だから、それがなかったら、さっきの出産の場面はなかったかもしれない。
 ウイルスは遺伝子を動かしていますから、病原性だけでなく、いろんなことをやっています。ウイルスは、動く遺伝子だと思ってください。ウイルスがたくさんいるということは、遺伝子はしょっちゅう動いているんだよ。ただ、今度の新型コロナは、もともとはコウモリの中にいて、居心地いいなあとコウモリの中にいる限りは、コウモリも病気にならずにウイルスもいる、ということでずっーと長い間やってきたのに、何かの拍子に人間が引っ張り出してしまった。途中にセンザンコウがいるのかどうか、わかりませんが、このごろ、エボラや他にもいっぱいいろんなウイルスが出てきている、これは人間がやたらに森の中に行ったり、野生動物を人間の生活の中に引っ張り込んだり、いろいろしているから、いわゆるemerging(新興の)ウイルスがいっぱい出てきている。
 他の生き物の中で静かにしている分には何事もなかったのに、引っ張り出されたものだから、あっちにも入ろうとなっているわけで、ある意味ではウイルスのせいではない。私たちの暮らし方のせいで、また新しくウイルスがどんどん出てきているわけで、そうなったら、これは私たちが暮らし方を考えて、ウイルスとどうつきあうかを考える必要があります。病原性の場合は、ワクチン作りです。・・・今のワクチン作りはウイルスについてまだよくわからないうえに、とても急いでいますので、ちょっと心配ですけど・・そうやって、友達かどうかは別として、つきあってはいかなくてはいけない。ウイルスとつきあわずには暮らせないのが生態系というものなので、そういう形で位置付けていただきたいなと思います。
上田: なるほど、つきあっていく以上は、いい付き合い方ができるように人間が賢くならないといけない。
中村: ウイルスが動く遺伝子として、どこにでもいるんだということを前提にした上で私たちの生き方を考えさえすればいいわけですよね。ウイルスを悪者にしてみたって、あっちの方が先にいたんですから・・(会場・笑い)悪者にしてみたってしょうがない。付き合い方を考える。
上田:
わかりました。今日は、映画がきっかけで、中村さんから興味深いお話がポンポン飛び出す感じで、とてもみなさんも満足されたのではないかと思います。先生、本当にどうもありがとうございました。(拍手)
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